クロード・アヴリーヌ(Claude Aveline, 1901年7月19日 - 1992年11月4日)は、フランスパリ出身の小説家、詩人、フランスのレジスタンスのメンバー。

1937年にルイ・デリュック賞の審査員、1968年に開催される予定だった第21回カンヌ国際映画祭の審査員を務めた。

生涯

1901年7月19日、フランスのパリ5区にユダヤ系ロシア人であった両親の元に生まれる。両親はロシアでのユダヤ系に対する迫害ないし人種差別(ポグロム)から逃れるためにフランスへ移住していた。

1905年にフランス国籍を家族全員で取得し、アヴリーヌはパリ5区のアンリ4世校 (en) に入学したが、途中両親がヴェルサイユに引越ししたため、同地のオッシュ校 (fr) に転校した。同校在学中の1915年、ボランティアで第一次世界大戦のメディックを務めた。その後さらに、パリ16区のジャンソン・ドゥ・サイイ校 (fr) で学んだ。同サイイ校在学中、健康を害したため勉学を中断し、1918年から1919年にかけて南仏カンヌ近郊ル・カネに移り住み、作家活動をする。

1919年、アヴリーヌの詩がマガジンに掲載され、フランスの詩人、小説家、批評家であるアナトール・フランスと友人になり、メンタリングとなった。

1920年にパリに戻り、1922年に自分自身の出版社を設立し、フランスで最も若い出版社と呼ばれた。

1923年、アヴリーヌが病気の療養中のためフォン=ロムー=オデイヨ=ヴィアにいた時、後に映画監督となるジャン・ヴィゴと親しくなる。

1929年に回想記『夜明け』を著し、1930年から1955年にかけて全三部作からなる大河小説『フィリップ・ドニの生涯』を著した。

1937年にルイ・デリュック賞の審査員を務める。

第二次世界大戦時にはフランスのレジスタンスに参加し、1952年にはイタリア賞を受賞した。

1968年に開催される予定だった第21回カンヌ国際映画祭の審査員を務めた。

1974年より回想録を著し、1992年にパリで亡くなった。

なお、日本に於けるアヴリーヌの著作はフランス文学者、翻訳家である三輪秀彦、河盛好蔵と俳人、詩人、評論家の安東次男により翻訳され、出版されている。

小説

ミステリ長編(殺人課フレデリック・ブロ課長もの)

  • ブロの二重の死  La Double Mort de Frédéric Belot (1932年) 
  • 七号車一五座席  Voiture 7 Place 15 (1937年) 
  • U路線の定期乗客  L'Abonné de la Ligne U (1947年)
  • Le Jet d'Eau (1947年)

大河小説(フィリップ・ドニの生涯)

  • マイヤール夫人  Madam Maillart (1930年)
  • Les Amours et les Haines (1930年)
  • Philippe (1955年)

児童小説

  • 黒ちゃん 白ちゃん  Baba Diéne et Morceau-de-Sucre (1937年)

脚注

参考文献

  • 高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 1 文学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1973-8-10)。 

人間最後の言葉 クロード・アヴリーヌ 筑摩書房 by メルカリ

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