オーランド・ルイス・カブレラ(Orlando Luis Cabrera, 1974年11月2日 - )は、コロンビア・ボリーバル県カルタヘナ出身の元プロ野球選手(遊撃手)。右投右打。
経歴
プロ入りとエクスポズ時代
1993年に、ドラフト外でモントリオール・エクスポズ(現:ワシントン・ナショナルズ)に入団した
1997年に、メジャーデビュー。
1999年頃からレギュラー格の選手としての扱いを受けるようになり、104試合に出場した。
2000年には自身初の2桁本塁打を記録した。
2001年には自身初の2桁盗塁と、162試合フル出場を記録。また、ゴールドグラブ賞も初受賞した。最も目覚しい活躍をしたのは2003年。
2004年は不振に陥った。
レッドソックス時代
2004年シーズン夏場に4球団8選手が絡む大型のトレードで、ボストン・レッドソックスに移籍した。レッドソックスはこのトレードで看板選手であり打力はあるが守備で足を引っ張っていたノマー・ガルシアパーラを放出しており、その後釜として打力は劣るがゴールドグラバーであるカブレラを獲得した。移籍後はチームの期待通りに堅守の遊撃手としてレギュラーの座を手に入れてチームの世界一に貢献している。
エンゼルス時代
2004年オフにロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへFA移籍した。
2005年は、正遊撃手として活躍した。
2006年は、4月25日から7月6日の間に史上6番目、球団新記録となる63試合連続出塁を記録。この打撃内容の良さを買われて、本来の2番から3番へ抜擢され、主砲ブラディミール・ゲレーロの繋ぎ役として活躍。7月2日のロサンゼルス・ドジャース戦で、チーム9年ぶりとなる本盗を成功させるなど、自己ベストとなる27盗塁を記録。
ホワイトソックス時代
2007年11月19日にジョン・ガーランドとのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍。
2008年は、前年までの正遊撃手フアン・ウリーベからポジションを奪い、前年の井口資仁放出以来、空席となっていた二塁へ追いやり、2番打者を務めたが、開幕から打撃不振に陥ってしまう。しかし、5月6日に同じく不振に陥っていた1番打者ニック・スウィッシャーと打順を入れ替えてからは徐々に復調し、最終的には例年通りの堅実な成績を記録。
アスレチックス時代
2009年3月6日、オークランド・アスレチックスと1年契約を結ぶ。
ツインズ時代
2009年7月31日にタイラー・ラーデンドルフとトレードで、ミネソタ・ツインズへ移籍。
レッズ時代
2010年2月1日にシンシナティ・レッズと1年契約を結ぶ。
8月3日から左脇腹を痛め故障者リスト入りし、欠場中はバットボーイを務めてチームを盛り上げた。
インディアンス時代
2011年2月10日にクリーブランド・インディアンスと1年契約を結ぶ。遊撃手にはアズドルバル・カブレラがいたため、主に二塁手として起用された。6月12日のニューヨーク・ヤンキース戦でフレディ・ガルシアから通算2000本安打を放った。しかし、その後は不調になり、ジェイソン・キプニスにスタメンを奪われた。
ジャイアンツ時代
2011年7月30日にトーマス・ニールとのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。背番号は6番を着けるはずだったが、尊重のうちに、43を着ける事になった。
オフにFAになり引退。
その他
2005年、2006年に福岡ソフトバンクホークスでプレイしたホルベルト・カブレラは実兄。
同じコロンビア人遊撃手であるエドガー・レンテリアとは、母国での野球ビジネスを巡るトラブルにより犬猿の仲になっている。
2011年5月19日、サウスカロライナ州で米国市民となった。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
表彰
- ゴールドグラブ賞(遊撃手部門):2回(2001年、2007年)
背番号
- 2 (1997年 - 1998年、2010年)
- 18 (1999年 - 2004年途中、2005年 - 2009年)
- 44 (2004年途中 - 同年終了)
- 20 (2011年 - 同年途中)
- 43 (2011年途中 - 同年終了)
関連項目
- 兄弟スポーツ選手一覧
脚注
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)




