松岡 政保(まつおか せいほ、1897年(明治30年)9月18日 - 1989年(平成元年)4月7日)は、琉球政府の政治家で実業家。1964年(昭和39年)10月から1968年(昭和43年)11月まで琉球政府行政主席を務めた。沖縄県国頭郡金武町出身。松岡建設・松岡配電(後に沖縄電力と合併)の創業者で、復帰後に設立された沖縄電力の社長も歴任する。

経歴

1897年(明治30年)9月18日生まれ。1912年(明治45年/大正元年)に渡米し、1924年(大正13年)にアメリカ合衆国インディアナ州のトライステート工科大学を卒業する。

1927年(昭和2年)に帰国。1931年(昭和6年)、宜野座から松岡に改姓。「松岡」の苗字は生家の裏山の松林にヒントを得たとのこと。1936年(昭和11年)に沖縄製糖に入社し、技師や工場長を務めた。

沖縄戦後、沖縄諮詢会や沖縄民政府の工務部長を歴任するが、1950年(昭和25年)の沖縄群島知事選挙に落選した。その後松岡建設・松岡配電を創業し、政財界に人脈を築いていった。

前任者の大田政作主席から始まった政局混乱を収拾するために、1964年(昭和39年)に第4代行政主席に就任する。1968年(昭和43年)まで在任し、保守政党の合同を実現させた。また、ワトソン高等弁務官に交渉して、行政主席公選制の実現など自治権を拡大していった。

歴代主席の中で唯一、アメリカ留学経験を有する人物であったため、対アメリカ人交渉に長けていたという。

復帰後の1972年(昭和47年)に沖縄電力の社長を務めた。

趣味は三線作りで、彼の自宅には自身の作品が多く置かれていた。

脚注

関連項目

  • インディアナ州
  • 沖縄諮詢会
  • 沖縄民政府
  • 沖縄自由民主党
  • 沖縄電力
  • 南陽相互銀行11万ドル詐欺事件 - 夫人が被害に遭った事件

イベント/沖縄を去る第4代高等弁務官ワトソン中将夫妻のためのパーティーで記念撮影、ワトソン高等弁務官夫妻(右)、松岡政保主席夫妻(中央

【FILMS】ハワイ移民65周年記念と松岡政保 沖縄アーカイブ研究所

ポートレート/松岡 政保氏 那覇市歴史博物館

米国独立記念の祝賀会にて松岡政保氏 那覇市歴史博物館

松岡政保氏の選挙運動ポスター 那覇市歴史博物館