ヤマノタンポポ(欧字名:Yamano Tampopo、1986年4月16日 - 不明)は、日本の競走馬、繁殖牝馬。
主な勝ち鞍は、1990年のダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)。
経歴
パーソロックは、父パーソロンの牝馬である。競走馬として6戦1勝の成績で繁殖牝馬となり、1975年に初仔を生産した。以降、カブラヤオーやマルゼンスキーなどとは複数回交配した。19歳となった1985年、トウショウボーイと初めて交配。1986年4月16日、北海道沙流郡門別町の丸一牧場にて鹿毛の牝馬を生産した。仔には「ヤマノタンポポ」という競走馬名が附され、栗東トレーニングセンターの中村好夫厩舎に入厩した。
1989年1月13日、京都競馬場の新馬戦(ダート1200メートル)にて、中竹和也が騎乗しデビュー勝ち。次走は同世代との400万円以下に5戦出走するも、勝利には至らなかった。秋となった11月、古馬との混合戦となった400万円以下初戦で2勝目を挙げる。10着敗退を挟んだ12月の900万円以下では11番人気で出走し、3勝目を挙げた。
5歳となった1990年、淀短距離ステークス(OP)で始動し、勝利したナルシスノワールに約2馬身差の4着となった。この走りに中村は、オープン競走でも勝つことができると考え、うずしおステークス勝利を前提にダービー卿チャレンジトロフィーへ参戦するローテーションを策定した。3月3日のうずしおステークスでは、中村が楽勝できると考え、鞍上に厩舎所属の新人騎手である牧田和弥を起用し参戦した。しかし、スタート直後に鐙が外れて不安定な状態となり、最後の直線、決勝線手前で落馬し競走を中止した。
次走は計画通り3月18日のダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)に出走。初の重賞および関東圏での出走となり、柴田善臣に乗り替わった。レースでは、最終直線でデュークプリンセスがまくるなど、各々馬場状態の良い外側に移動する中、ヤマノタンポポは内側を突いて抜け出した。同じく内側を突いたメイショウコブラや、外を回ったリンドホシなどに2馬身差をつけて勝利、重賞初制覇となった。柴田は前週の中山記念をホクトヘリオスが制しており、それに続く2週連続重賞勝利を果たした。
中村は、その後京王杯スプリングカップかCBC賞を経て、スプリンターズステークスに挑戦すると宣言。宣言通り京王杯スプリングカップに出走したが、14着敗退。その後は出走することなく競走馬を引退し、繁殖牝馬となった。産駒からは、オープン競走2勝、重賞2着1回、3着2回、スプリンターズステークスおよび高松宮記念ともに5着となったゴールデンロドリゴ(父:ロドリゴデトリアーノ)を筆頭に、14頭の仔を生産した。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.comおよびJBISサーチの情報に基づく。
繁殖成績
血統表
- 4代母スピアーロビンは第12回帝室御賞典(現天皇賞(春))勝ち馬グランドライトの半姉。
- 本馬と同じくスピアーロビンを祖とする牝系の子孫にサントノーレがいる。
脚注
出典
参考文献
- 『優駿』(日本中央競馬会)
- 1990年5月号
- A・Y「【今月の記録室】第22回ダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)」
- 1990年5月号
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ




