鍋島 忠直(なべしま ただなお)は、江戸時代前期の肥前国佐賀藩の世嗣。官位は従五位下・肥前守。

略歴

初代藩主・鍋島勝茂の四男として誕生。母は徳川家康の養女(岡部長盛の娘)・菊姫。幼名は翁助。

勝茂の四男であるが、徳川家から迎えた菊姫との間にできた男子であったため、長兄・元茂など3人の兄を差し置いて嫡男として扱われる。元和8年(1622年)、徳川秀忠から偏諱の「忠」の字と松平の氏姓を授けられた。この鍋島家の松平姓および将軍の偏諱拝領は、この時以降幕末まで代々継承される(一方、諱の「直」の字は祖父の直茂から取ったものである)。2代藩主の座を約束されていたが、疱瘡にかかり早世する。享年23。法名は興国院殿敬英賢崇大居士。

代わって、忠直の長男・光茂が勝茂から嫡孫継承することとなった。

系譜

  • 正室:牟利(無垢子・恵照院) - 松平忠明娘
    • 長男:鍋島光茂(1632-1700) - 鍋島勝茂養子
    • 長女(早世)

脚注


鍋島直正の肖像写真 [9751586]のアート作品 アフロ

an old photo of a man sitting down with his hands in his pockets and

鍋島直正像 文化遺産オンライン

斉彬と鍋島直正(5/6)ものごとの決め方は正反対 幕末島津研究室

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