北田城(きただじょう)は、福島県河沼郡湯川村にあった日本の城。「北田城跡」として湯川村指定史跡となっている。
歴史・沿革
- 鎌倉時代初期に佐原盛連の次男・広盛が北田氏を名乗り、城を築いたのが始まりと言われている。なお、広盛の兄・経連は猪苗代氏の祖、弟・光盛は蘆名氏の祖である。
- 応永9年(1402年)、北田氏は同じ蘆名氏一族で、新宮庄(現在の喜多方市一帯)地頭の新宮城主・新宮盛俊と結んで黒川城の蘆名氏に反旗を翻し、そのため応永16年(1409年)6月、北田城は蘆名氏によって攻め落とされ、城主・大庭政泰(北田上総介)父子らは討死し、北田氏は滅亡した。
構造
城は東に湯川、西に阿賀川、北に日橋川と三方を川で囲まれている段丘上にある平城で、主郭が東西110m南北120m、外郭が東西220m南北210mと広大な広さを持っている。
脚注
関連項目
- 日本の城一覧
- 勝常寺(北田城の南に建つ会津五薬師の中心の寺)




