ギャラントアロー(欧字名:Gallant Arrow、2000年4月29日 - )は、日本の競走馬。主な勝ち鞍に2003年のファルコンステークス、スワンステークス。
経歴
2歳(2002年)
2002年12月1日、2歳新馬(阪神芝1600m)でデビューし、2着に入る。2戦目、折り返しの新馬戦を1.3倍の断然人気に応え2馬身差をつけて勝利、初勝利を挙げる。
3歳(2003年)
3歳になり、シンザン記念で重賞に挑戦し8着。次走はダート1200mの3歳500万下を選択し2着に4馬身差をつけて快勝、2勝目を挙げる。続くクリスタルカップは13番人気と低評価ながら、先手を取るとワンダフルデイズに3/4馬身交わされるも2着に粘る。さらに、ニュージーランドトロフィーでも逃げると勝ったエイシンツルギサンにクビ差の2着となり、2戦連続2着と好走した。なお、このレースから20戦連続で幸英明が鞍上を務める。優先出走権を獲得したNHKマイルカップはブービーの17着と惨敗。続くファルコンステークスは逃げるとそのまま粘り込み、追い込んできたホーマンアピールに1馬身3/4差をつけて逃げ切り勝ち。重賞初制覇を飾った。3か月の休養明け、セントウルステークスは6着。スワンステークスは11番人気ながら、好スタートからハイペースで逃げると、いったん引き付けると直線でさらに突き放し、伸びてきたテンシノキセキに2馬身半差をつけて1着、重賞2勝目を挙げた。続くマイルチャンピオンシップでも10番人気ながらデュランダル、ファインモーションに続く3着と粘り込んだ。
4歳(2004年)
4歳初戦となった淀短距離ステークスを別定58kgを背負って逃げ切り5勝目を飾る。しかし、1番人気に推された阪急杯は8着に敗れた。続く高松宮記念は後続に差されたものの4着と好走した。その後、京王杯スプリングカップは13着、久々のダート戦となったプロキオンステークスは9着に敗れる。4か月後、連覇を狙ったスワンステークスは13着、マイルチャンピオンシップは15着とそれぞれ大敗したが、アンドロメダステークスはトップハンデ58kgながら、リミッドレスビッドに半馬身差の2着に入る。次走、CBC賞は6着に敗れた。
5歳(2005年)
5歳初戦、シルクロードステークスはプレシャスカフェに半馬身差し切られたが2着に入る。前年に引き続き1番人気に推された阪急杯は7着に敗れ、高松宮記念は11着に終わる。5か月の休み明け、小倉日経オープンは59㎏を背負い3着と善戦。セントウルステークスは4着に敗れた。その後、スプリンターズステークス、スワンステークスと二桁着順に沈み、アンドロメダステークスは最下位と大敗。CBC賞はやや復調し6着となった。
6歳(2006年)~7歳(2007年)
6歳初戦、淀短距離ステークスは別定59㎏を背負いながらも先手を取ると後続に2馬身差をつけて2年ぶりの勝利を挙げた。次走、シルクロードステークスは12着と惨敗。続くオーシャンステークスは5着に入った。その後はUHB杯4着以外は二桁着順に終わるレースが続き、2007年10月31日、JRA競走馬登録を抹消した。スワンステークス17着が最後のレースとなった。
引退後
引退後は馬事公苑で乗馬となり、2013年に函館競馬場へ移動した。
競走成績
以下の内容はnetkeiba.comの情報に基づく。
血統表
脚注
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ


