ユーリー・フセヴォロドヴィチ(Юрий II Всеволодич、1188年11月26日 - 1238年3月4日)は、フセヴォロド3世の子。母はチェコ公女マリヤ。兄コンスタンチンとウラジーミル大公位を争った。ウラジーミル大公(在位:1214年 - 1216年、1218年 - 1238年)。彼の命令で、キーテジという町がヴォルガ川の河畔に建設された。
事跡
- 1209年に兄コンスタンチンおよび弟ヤロスラフとともにトルジョークに軍を進めた。
- 1211年に、キエフのフセヴォロドの娘アガフィヤを妃に迎えた。
- 1214年には兄と戦い、ヴェリーキー・ソーリを奪われた。
- モンゴルのルーシ侵攻のさなか、1238年にバトゥ率いるモンゴル軍とシチ川で戦い、戦死した。
子女
- フセヴォロド(ru)(1213年 - 1238年) - ノヴゴロド公。オーヴルチ公ウラジーミルの娘・マリナと結婚。
- ムスチスラフ(ru)(1213年以降 - 1238年) - マリヤ(出自不詳)と結婚。
- ドブラヴァ(1215年頃 - 1265年) - ヴォルィーニ公ヴァシリコと結婚。
- ウラジーミル(ru)(1218年以降 - 1238年) - モスクワのナメストニク。フリスチナ(出自不詳、おそらくモノマフ家出身)と結婚。
- フェオドラ(1229年 - 1238年)
脚注




