グリーンハウス(Green House)は、山形県酒田市中町二丁目にあった映画館。大沼酒田中町店に隣接した場所にあったとされている。

1949年5月17日に開館、洋画専門館として約27年半にわたって酒田地区における文化の中心的な存在であったが、1976年10月29日の酒田大火の火元となり、そのまま閉館する。

2018年には、グリーンハウスについての証言などを取材したドキュメンタリー映画『世界一と言われた映画館』(監督:佐藤広一、ナレーション:大杉漣)が公開された。

略歴・概要

初代館主の佐藤久一は、酒田市に本社を置く酒造会社、東北銘醸株式会社の創業者・佐藤久吉の長男として1930年(昭和5年)に生まれた。この時、祖父となった佐藤三五郎はこれを記念し、清酒「初孫」を発売。現在も同社の看板商品として親しまれている。

1948年(昭和23年)5月29日にダンスホールがオープン。これを久吉が買収し、1949年(昭和24年)5月17日に、500席の洋画専門映画館「グリーンハウス」に改修。1950年(昭和25年)に久一は大学を中退し、同館の館主となる。当時の酒田市内には、久吉が経営する邦画専門の酒田港座のほか、酒田劇場、中央座が太平洋戦争前から存在しており、1955年(昭和30年)7月23日には洋画と新東宝系の作品を扱うシバタ映画劇場が開業。また、日活封切館だった日活酒田劇場も存在していた。蝶ネクタイに白手袋の案内係を置き、映写担当者の名を毎回アナウンスするなど特別感を演出し、1952年からは正面広場に特設スクリーンを設置してニュース映像や予告編を流し、女性客獲得のために二階に名店街を作り、トイレを水洗化するなど美化に努めた。

1960年(昭和35年)6月11日には、アラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』が東京の日比谷スカラ座(現:TOHOシネマズスカラ座)と同日封切し、話題となる。大スクリーンのほかに、1962年には小劇場「シネサロン」や少人数の貸切用「家族室」を設置するなど、先進的な取り組みを行った映画館として知られている。高級ホテルのようなロビー、バーテンダーがいる喫茶スペース、ビロード張りの客席と内装は豪華で、映画評論家淀川長治も雑誌『週刊朝日』の1963年刊行の号で「おそらく世界一の映画館」と絶賛した。グリーンハウスの軌跡を追った前述の映画タイトルは、このフレーズに由来する。また、二階席には飲食をしながらスクリーンを観ることができる和風の個室と洋風の個室があり、さらには喫煙室もあった。

1964年(昭和39年)、久一はグリーンハウスを退職し、1967年(昭和42年)にレストランのオーナーに転職。久一の退社後も同館は洋画ロードショー館として営業を続けた。1975年(昭和50年)にはスティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』が大ヒットした。

ところが1976年(昭和51年)10月29日、同館のボイラー室から出火。死者1名、被災者3300名を出す惨事の影響もあってか、同館は再開することなく廃業となった。

脚注

注釈

出典

関連書籍

  • 岡田芳郎『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』講談社 ISBN 978-4062143608

外部リンク

  • “【荒井幸博のシネマつれづれ】グリーンハウス、佐藤久一さん…”. やまがたコミュニティ新聞 (山形コミュニティ新聞社). (2008年3月28日). https://www.yamacomi.com/154.html 2017年5月21日閲覧。 

映画「世界一と言われた映画館」公式サイト

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